毎回示される、六十四卦には、間をあけずに偏りを示す傾向がある。
理論的には、64分の1の確率のはずだが、そのイメージから程遠い。
六十四卦と言わず、八卦をとってみれば、乾(ケン)から坤(コン)で構成される、
八卦の確率は、8分の1であるが、この確率を、実験的に、確実に、再現するには、
どれほどの試行が必要だろうか?
ここで、試行回数の誤差を1/100とし、確実な確率を0.99以上に設定し、
ベルヌーイ定理をもって算出すれば、109375回という答えを得る。
確率論は、偶然的事象の数量的関係の理念的恒常性を、巨視的に規定しようとするにすぎない。
微視的な偶然的可変性に触れることができない。
しかし、偶然の偶然たる所以は、まさに微細における動きに存在する。
確率論は、偶然そのものを計算できない。
偶然性の全貌に対して、何らかの把握を許すものではない。
偶然を偶然として、その本来の面目において問題となし得るのは、哲学をおいてほかにない。
運命は、必然性の尺度に合わせて計算しても、割り切れず、いつも偶然という残数を生ずる。
まさに、人が、ここに存在するという運命の必然性を追求してみれば、
そこには、計算しつくされない必然と偶然の積み重ねがあり、
精子と卵子の統合の結果は、3億分の1の必然、
言い方を変えれば、100%の偶然に作用されている。kingsarmonj
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